なぜ他人に評価されることを気にする必要があるのか
よく抱く疑問
今日はこの動画を見てました。
本について語るチャンネルflierで、オモコロの原宿さんと東海オンエアの虫眼鏡さんの対談動画です。
お話の中で、人にとって退屈とはなんなんだ、暇って悪なのかみたいな話題があります。
でまあ確かに、暇ばっかして過ごしてると無気力になっちゃうし、ぼーっとして人生終えちまうかなーとか考えてたんですが、
何もやってない人だと周りに思われるのが良くないみたいな話が出たので、あそっち?と思ったんです。
ここからは動画と関係ない話です。
自分以外の周りからどう思われようがどうでも良くないですか?っていうのは昔から思ってて、
しかしどうやらどうでも良くないようだというのは常々感じてはいたんです。
私個人としては、(今は)自己実現のために生きてる状態なので、私がやったことややっていることに対して周囲から何か言われたとて、
私は私が納得した行動しかしていないので、なんか言ってんなとしか思えない状態です。
生きてる中で、こう言われちゃったからやめようかな・・とかみんなに変に思われるかもしれないから・・みたいなのはよく聞きます。
あんまり意味がわからないんですよね。
それを言っている方が悩んだり挫折したりしているのは事実だと思うので、その考えを否定することはしませんが、どういうロジック??と疑問を覚えます。
罪を犯したり誰かに迷惑をかけたり傷つけたり、そういう極端な話は除きますが、それ以外って誰に何を言われても関係なくないですか。
親だとか友達だとか関係ありません。
なんか言ってんなで終わりです。
何かを言っているのは事実としてあるので、その根拠も確認はしますが、たいていしょうもない話ですよ。
普通はそうしないとか、そんな人見たことないとか。
こちらからは、あ、そうなんだね~以外に何か言うことありますか。
他人のしょうもない感想は、自分の行動を変える理由にはならないと思います。
この単純な考えのもと生きていますが、何かが他と噛み合ってない感は長年感じています。
でもまだうまく言語化できていないです。
外から見たら、気が強いとか頑固、わがまま、融通が利かないなどの表現になるのでしょうか。
このような考えは、私が人に寄り添う職業に就けないと確信した原因でもあります。
問題が起きている→問題の原因を探る→改善する
これだけのことがなぜ分からないのか、もしくはやろうともしないのかという疑問に、なかなか答えが出ません。
他人を変えられると思わないというのは、生きていく上での鉄則だと思っているので、
最初から期待しないというのはもちろんなのですが、あまりに基準が低すぎて理解不能です。
もし他人の目を最優先にして自分の行動を変えているのであれば、自分で自分について説明できないのも自明だと納得がいきます。
そのような行動を取っている方は、長い目で見てそれが良いことだと考えているのでしょうか。
しかしずっと集団で生活していく人生であれば、協調性の重要度がグンと上がりますので、そのような生き方のほうが良いのかもしれません。
いちいち知らん!って言って和を乱すようでは、排除されかねませんから。
まあ、知らん!と思うのと「知らん!」と口に出すのでは天と地ほど違うだろうとも思いますが。
私は、結局自分を守れるのは自分だし、自分をいちばん理解しているのも自分だと思うので
自分の脳みそを鍛えておくことは非常に重要だと考えています。
体を鍛えたり算数ドリルを解いたりするのと同じで、日頃から小さな決断を通して練習し、自分を知っておかないと
人生で大きな決断を迫られた際、どうして良いか分からなくなってしまうのではないでしょうか。
私は人生で大事なときが来たら、誰かの背中に隠れるのではなく、自分の言葉と考えで立ち向かいたいです。
もう少し自分の考えを言語化できるようになりたいので、引き続きこのズレについて考えていきたいです。